安保法案通ったことすら忘れている日本人
国会前で今もデモは行われているのだろうか?
テレビはノーベル賞の話や、内閣改造の話ばかりやってるが、安保法制廃止のデモのことは全然伝えない。
多分、もうなくなったのだろう。
そんなに切実な話ではなかったのだ。
そうなんだよ、日本人はいつもそんな感じ。
熱しやすく冷めやすい。
学生はしっかり勉強して、東大に行って、官僚になれば国を動かせる。
あるいは政治家になって、官僚以上に勉強して、官僚の思惑や習性を食い止めるという方法しかない。
そもそも勉強したくない者がデモをしているのであって、馬鹿だからデモしか出来ることがなくなるのだ。
小林よしのり氏は本当のことをはっきり言い過ぎるから、アンチが多いのかもしれない。彼の言うことは真っ当であり、その通り。大半の日本国民はそう思っているから、デモを支持していない。勝手にやればいいとは思っている。
もっとまじめに議論しようよという、ちゃんとした国民が多いのも事実。日本国民はそんなに馬鹿じゃない。
シールズは解散して私塾のような形にして、勉強会などをベースにした団体に移行すべきだろう。「安倍やめろ」、「民主主義ってなんだ?」とか叫んでるだけじゃダメってことに早く気づくべき。
シールズの若者たちは、自分たちを持ち上げてくる大人こそ、どうしようもない大人であると早く気づくべきである(彼らが賢ければ、とっくに気づいていて、解散へと舵を切っているはず)。
親に食わせてもらってる身分で、よく「個」なんて言えたもんだ。
それをもてはやす大人たちはどうだ?
わしより「個」が強いか?
わしの前に出てきて、自分がいかに「個」を貫いて生きて来たか説明できる奴がいるのか?
ほとんどの大人が「現場」に入れば、「集」に埋没してしまうのだ。
会社に入った時点でもう「集」との格闘が始まる。
あの若者たちはほとんで全部、数年後、「集」に埋没する。
そんなことは大人なら誰でもわかることだろう。
学生時代は、自分自身と向き合って、自分が何を出来るのか、自分の職能はなんなのか、とうことを真剣に考えて欲しいものである。大人は学生を絶賛するのではなく、時に厳しい意見を言う必要がある。何でもかんでもデモをすればいいってもんじゃない。
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