もし村上春樹が最初から英語で書いていれば、さらに読者は増えるでしょうか?

英語学習

早期の英語学習が必要かどうかという議論があります。
これからは英語ができないと生きていけないという識者もいますし、英語は必要ないという方もいます。

日本で生活していてそれほど英語の必要性を感じることは少ないでしょう。
日本語での市場が十分であり、不便が少ないからです。

firecoldの考えは「英語学習は必要」です。
特に若い人ほど「必要」と考えたほうがよいでしょう。

ただし、一般的な英会話よりも、読み書き能力の方が優先度は高いと感じています。英会話を完璧にマスターするのはコストが高いので、できたほうが良いが、海外で生活する以外では簡単な会話レベルでよいと思います。

カズオ・イシグロのインタビュー記事が面白かったので紹介します

とある新書を読んでいたら、カズオ・イシグロのインタビューが載っていました。

あなたは村上春樹よりもアドバンテージが大きいと思います。というのも村上作品は英語に翻訳されないといけないからです。あなたが作家の池澤夏樹と日本で公開対談をやったとき、自分の小説がどのように翻訳されるかを意識せざるを得ないといわれたのを覚えています。だから、より翻訳しやすい言葉を使うようにしていると。

イシグロ:そのとおりです

あなたは英語で書くので、アドバンテージが大きいですね。

イシグロ:そうですね。私の翻訳されていない作品のほうが、ノルウェー語や日本語で書いている作家よりも読者が多いと思います。それは英語がますます国際語になっているからです。ずっと書き続けてきたあいだに、ドイツやオランダでも状況はどんどん変わってきています。私の初期の作品は、ほとんどの人が翻訳で読んでいました。でもいまは、若い読者のほとんどは、ドイツでもほかの国でも、英語のまま読んでいますね。状況が急速に変わってきているのです。

村上春樹は世界的に有名ですが、翻訳コストがあります。
その点、カズオ・イシグロは英語で直接届けられるので有利というわけです。

ドイツやオランダでも若者は英語でそのまま読んでいるというのは驚きました。日本でも英語でそのまま読む人が増えているのでしょうか?

イシグロ:これは危険もあると思います。というのも、あまりにも英語が支配的になってきているからです。それに比例して、英語で各作家が注目されますから、ほかの言語で書く、非常に貴重な作家が無視されているという危険がすでにありますからね。従来は、たとえば、ラテンアメリカもそうですが、世界のいろいろな国から頭角を現してくる、非常に興味深いスタイルをもった作家がたくさんいたのです。少なくとも日本は、孤立した状態で成長したので、そこでつくられた映画は非常に興味深いといえます。

多様性がなくなることを懸念しています。

しかし、グローバル化が進み、市場が統一されていくことを考えると、母国語+英語をマスターすることは避けられないことのように思います。

もし村上春樹が最初から英語で書いていれば、さらに読者は増えるでしょうか?

イシグロ:そうは思いません。村上春樹は興味あるケースだと思います。たしかに、勇気づけられるケースです。私は彼を非常に才能のある作家だと思いますが、十分に才能があれば、英語で書かなくても、英語に翻訳されればよいということです。

日本の作家が海外で活躍するにはかなりのハードルがあることは確かです。
英語で書いたら国内では売れず、日本語で書いて国内で売れても英語圏に翻訳することは稀だからです。

近藤麻理恵さんの著者が米国でヒットした例をみるように、日本の作家が海外に受け入れられるケースもこれから増えてくるでしょう。
これからの書き手は、国内だけではなく海外の人を意識した文章を書く必要があることは確かです。