佐野研二郎(サノケン)問題から考える「デザイン」とは何か?
ずいぶん昔の記事ですが、工業デザイナーである川崎和男氏の言葉を引用します。
ただデザインというのは、非常に誤解を受けているんですね。まだまだ日本人のデザイン感覚は低い。色とか形とか流行とかにすごく囚われているんです。そうではなくて、デザインというのは理想主義を形で実現していく、言ってみれば哲学をちゃんと形で表現する職業なんです。
世の中を動かすことができるのがデザインなんです。僕が学生によく言うのは、「工学部出身のエンジニアに指令を与えるのはデザイナーなんだ」っていうこと。
単に絵を描くことがデザインの教育なのではないんです。ある高校で講演したときに、生徒たちに尋ねると、数学ができないから絵を描いてるっていうレベルの子がいっぱいいるんですね。僕は、「君らみたいに絵ばっかり書いたってダメなんだぞ。自分の絵を外人さんに説明できないでしょ、絵が好きだったら3割くらいにしなさい。そして自分の苦手なものに7割くらいかけなさい。」と言ったわけです。数学が役に立たないと思っているかもしれないけれど、数学の究極は哲学に至っているわけだから。
私はデザイナーでもなく、デザイン業界の人間でもないですが、
思うところがあるので書いてみます。
10年以上前、川崎和男氏の著書を読み、
デザインは「装飾」ではないことを知りました。
デザインとはもっと哲学的で、科学・工学の上位観念であると思うようになりました。
10年以上前のことです。
その後スティーブ・ジョブズがiPod、iPhoneを発売し、
世界のライフスタイルを一瞬で変えてしまいました。
なるほどデザインとはこういうものかと納得した記憶があります。
ここ数日、グラフィックデザイナーである佐野研二郎氏の五輪ロゴ問題や、
トートバッグデザインのパクリ問題が話題です。
グラフィックデザインとインダストリアルデザインとは、
全く違うものなのでしょうか?
グラフィックデザインも当然、二次元の図、写真、色彩、装飾などの上位概念であり、
哲学的な思考があるものだと私は思います。
少なくとも視覚情報よりも上位でかつ抽象的な情報を伝える手段であるべきでしょう。
トートバッグのデザインからは、
仮にすべてのイラストがオリジナルだったとしても、
まったく哲学的な思考は感じられません(商業的にはそれでOKなのでしょうが)。
私は商業的なデザインを否定したいのではなく、
このレベルで五輪ロゴも作られたんじゃないのか? と疑っているだけです。
佐野氏のデザインに対する姿勢を見る限り、本質が同じような気がしてしまうのです。
彼を知る人は、そんなことする人間ではないと擁護してますが、説得力ないですよ。
もうそういう次元の問題では無いのに、業界の人は、彼の人柄をもってのみ反論しているようです。
以前書いたように、私は五輪ロゴは盗作に当たらないと思っていますが、
現状こうなった以上、取り下げて作りなおしたほうが良いのではという意見です。
デザインという言葉が軽く使われている、日本という国の「軽薄さ」が残念です。
本物のデザインは、違う言葉、たとえば「意匠」や「設計」という言葉に変えて、
商業的な小手先のデザインと差別化した方が良いかもしれません。